プロフィール

初めまして、まほろと申します。

介護福祉士をしております。(年齢不詳)

 

離婚を経て、早、6年。

私は、3つの施設を掛け持ちして、休みなしで馬車馬の様に

働かなくてはいけない凄まじい貧困生活の末、

今も夜勤専従の介護士をしながら、

書くことが好きなので、なんとなーくブログを書いております。

 

正直、結構仕事はキツイです。

 

家には、寝に帰っている状態で、楽しみは

録画した、深夜アニメとドラマを見ることだけです。

 

そして、何となーく書いているこのブログも最近楽しみになりました。

 

自分では、小説になるような凄まじい人生を送ってきたと思っていて、

その日々で、経験した事、知識、情報を書いていけたらな〜と

思っています。

 

幼少期〜小学生時代

 

私は、兵庫県神戸市の商店街の長屋で生を受けました。

 

母は、専業主婦、父が大手の船会社で一応何不自由ない暮らしを送っていたのです。

 

ただ、私の性格が問題でした。

 

今で言います、”発達障害”だったのです。

 

幼稚園へ行っても、教室には居なくて一人外で遊んで居たり、

また、小学校の頃も授業中、落ち着きがなく一人行動が多くて、

学校の中に秘密基地を作ってはそこへ逃げて、授業をボイコッとしていました。

 

先生が私のことでしょっちゅう家に来ていたのを私も覚えています。

 

母は、父が不在のため誰にも相談できずに一人で私の子育てを頑張っていたのでしょうが、

毎日がストレスMAXで、どうしようも出来なくなって、私に暴力を振るうようになりました。

 

今で言います、虐待です。(このことは、また記事に詳しく書いております)

 

それは、小学生卒業まで続きました。

 

私は、いつも「なぜ、弟は暴力振るわれないの?」とその時は理解できなかったのです。

 

中学生、高校、大学〜アメリカ留学、そして結婚

 

中学生になって、母の暴力は無くなりました。(この事も記事にしております)

 

私は、背が高かったのでバレー部に入り、ごく普通の中学生活を送っていたのです。

 

成績も中の上で、私としては中学が一番楽しかったように思います。

 

そして、高校進学。

 

これが、間違いでした。

 

と言いますのも、親友がその高校へ行くからと私も一緒の高校へ進学したのです。

 

でも、私は本当は違う高校へ行きたかったのでした。

 

迷った末、親友と一緒に居たかったので一緒の高校を選択したのです。

 

その高校は、市内でも有名な評判の良くない高校でした。

 

ま、なんとかなるだろうと思って居たのもつかの間、

高校1年生の冬には、母へ高校へは行きたくない、辞めたい、

他を受け直させて欲しいと懇願していました。

 

でも、思いは伝わらず、私は、地獄の3年間を送ることになったのです。

 

厳しかった母の手前、登校拒否はせずに何とか学校へは行っていました。

 

高校の事務局に母の知り合いがいて、その方からの情報で、

450人中4番で入学できた成績が、高校3年の夏には445番に落ちていました。

 

それもそのはず、授業には一切出ずに、図書館でずっと本を読んでいたり、

漫画を描いていたりしていたのです。

 

唯一の楽しみは、部活でした。

 

私は、ブラスバンド部のドラムをやっていたのです。

 

そんな、高校生活も終わりに近づき大学進学となりました。

 

私は、幼少の頃から絵を描くことが好きで、いつしか漫画家になることを

夢見ていたので芸大に志望したのです。

 

小学6年生の時に見たディズニーの”シンデレラ”の継母が、

猫を撫でる手の動きを見て、「なんて、綺麗なんだ!!」と感動し、

「よし、漫画家になって、アニメーションを作るぞ!!」とひたすら、

その時から、漫画を描いていました。

 

高校生活は、大っ嫌いでしたが漫画家になるための絵の勉強のために芸大に行きたくて、

そのためには、高校は卒業しておかなければいけないと思っていたのが、

高校卒業を無事卒業できた理由になるでしょう。

 

その嫌な高校生活ともおさらばして、芸大に入学できました。

 

大学はそれなりに楽しかったです。

 

下宿はしなかったので、片道2時間半掛けて大学には通いましたが、

1年の間に殆どの必修科目を取ってしまったので、2年からは週に3日ほど

通えばいいようになりました。

 

ただ、芸大は毎日のように課題が出て、それをこなすのに徹夜続きで、

大学1年の間に10キロ痩せてしましました。

 

でも課題は、大好きなだったので、全く苦にならず出きたのです。

 

必修科目を全て取り終わっていたので、3年生の時は引きこもり、

ひたすら、漫画を描いて雑誌社に投稿していました。

 

そして、卒業を迎えた時、卒業論文としてシナリオを書いたのです。

 

なぜなら、芸大と言っても映画科だったのでシナリオが卒業論文でした。

 

私は、漫画を描くのが好きだったのでシナリオは漫画のセリフようでした。

 

ですから、シナリオ書くにはそんなに苦労はしなかったのです。

逆に楽しくて仕方がなかったのを覚えています。

 

そして、卒業面接の時に3人の教授(有名な某シナリオライター、映画カメラマン、大学教授)

から、私のシナリオを褒められました。

 

そして、本格的にアニメーションを勉強するなら、アメリカへ行くことも勧められました。

 

それが、のちにアメリカ留学となります。

 

私は、大学4年の時に関西在住の有名な漫画家のところへアシスタントとして勤めていたのです。

 

アシスタントを続けながら、大学卒業後は人材派遣会社の営業、夜はクラブ、ラウンジと

働きまくり、アメリカ留学の費用を貯めアメリカへ3年間留学しました。

 

でも、アニメーションの事は全く勉強せずに、ゴルフにのめり込み滞在できる費用も無くなり、

ゴルフだけが上手くなって、帰国しました。

 

帰国して、元主人と3ヶ月で電撃結婚したのです。

 

親の猛烈な反対の中で、半勘当のような結婚でした。

 

結婚生活も色々ありました。

 

結婚してわかった元主人の多額の借金、私のうつ病、発達障害と重度のアトピーそして、

いじめられていた息子、娘の大火傷、元主人の友人に騙され破産、娘の登校拒否・・・・。

 

でも、不幸だとは思いませんでした。

 

だって、私よりも苦労されている方は、他にたくさんいらっしゃると思っていましたから。

 

結婚生活は何かしらあるものだとは思っていましたし、

いつも何とか、乗り切っていたからです。

 

と思っていたのは、私だけで夫婦の溝は深まっていたのでした。

 

そして、本当の地獄がやってきたのです。

 

勢いで離婚

 

2012年12月某日、私は、22年間の結婚生活にピリオドを打ち、

熟年離婚をいたしました。

 

私の場合、離婚は、勢いでした。

 

巷に、離婚はパワーがいるとか言われますが、

私は、そうではなかったのです。

 

なぜなら、離婚を決める1年前からすでに家庭内別居で、

私は、元旦那から生活費など貰わず、家賃、光熱費等を

娘と私の2人分支払って、住まわせていただくという形でしたから。

 

だから、家庭内別居が始まった時から、離婚に向けて

カウントダウンは始まっていました。

 

家庭内別居の理由?それは、娘の登校拒否が、

原因だと思います。

 

私には、息子と娘がいるのですが、ちょうど離婚する

1年前くらいから娘が登校拒否になってしまい、

私はただ、好きな様にさせていたのが、

元旦那には、気に食わなかったのでしょう。

 

なぜかと言うと、娘は、登校拒否をいいことに、

パソコンでユーチューブ見放題、

朝からシャワーを浴び放題、

昼夜逆転で、深夜に電気つけっぱなしで、

ゲームし放題でしたから。

 

事あるごとに、元旦那は、「誰のおかげで、そこまで自由に

生活できるんや!!」としょっちゅう、娘に怒鳴っていました。

 

私は、元旦那の言っている事が、娘に対して、酷い!!

と思い、その度に口論になっていたのです。

 

そっとしておいてやって、刺激しないでと割れ物に触るかのように

娘をかばい続けていました。

 

それが原因で、私が甘いと言われ娘の分まで生活費を

負担しなくては、ならなくなったのです。

 

私は、確かに娘に甘かったのだと思います。

 

それは、私の不注意で、娘が1歳半の時、魔法瓶のお湯を

被って、集中治療室で生死の境目を彷徨うほどの大火傷を

しました。

 

その時から、私の娘に対する溺愛が止まらなくなったからです。

 

ずっと後からわかった事ですが、精神科のカウンセリング

の先生が、私に言われました。

 

「お母さんの愛情のかけ方は、間違っています。

なぜなら、犬に与える様に愛情をかけているから。

 

犬は、こうしてくれたらご主人様はよろこんでくれる、

おやつをくれると思い、行動に出ます。

 

お母さんもそれと同じことを娘さんにされています。

娘さんは、自分がこうしたらお母さんはこうしてくれると

わかっている、いいえ、お母さんがそうさせてしまったのです。」と。

 

そうなんです、私は、娘に大火傷を負わせてしまった償いの

つもりで、娘が要求するものはなんでも与え、庇い、

「出来ない、ダメ!!」と言う事が言えず、

 

勿論、叱ることなど全くありませんでした。

 

そういう私の愛情が、娘を歪ませてしまい登校拒否までに

なってしまったのです。

 

おそらく、元旦那は、それがわかっていて、私に発信していたけど、

私は、全くそれを受け止められなく、

自分の意のままに娘を育ててきたのでした。

 

そう言う私に、我慢ならなくなり、元旦那に女性の影が

見え始めていたのです。

 

女の勘と言うものでしょうか?

 

ある時、洗面台にこれ見よがしに置かれていた携帯をその時、

私は、見てしまいました。

 

22年間、元旦那の携帯を見るなどとは出来ない私が、

その時はなぜか、衝動に駆られて見てしまい、

女性とのメールのやり取りを発見したのです。

 

私は、その時、プツン!!と音がした様に何かが切れました。

 

そして、次の日、元旦那に離婚届を書いてもらい、

役所に出したのです。

 

それから、1週間後娘と共に家を出ました。

 

本当に、勢いで離婚したのです。

パワーなどいりませんでした。

 

離婚後の極貧生活

 

元旦那も、私の勢いに押されて離婚届にはすんなり判を押してくれ、

財産分与も貰い、月々養育費も払ってくれることになりました。

 

しかし、私の娘への溺愛はまだ、止まらず、

娘が嫌だと言うので、安い市営住宅ではなく、

民間の家賃の高いマンションに引っ越し、

学校へ行くからと、犬も飼い、パソコンも新しいのを買い、

服が欲しいと言えば与え、ゲームも買い、漫画も与え放題で、

何不自由ないようにと、私は、必死でした。

 

それでも、やはり、娘は登校拒否を続けたのです。

 

離婚1年前、私は、20年間キャディとして勤めていたけれど、

膝を痛めて、手術をきっかけにキャディを辞め、

介護職に転職していました。

 

介護職は当時、介護福祉士の資格を持っていなければ、

まともに正社員になれず、パートで手取り11〜2万円。

 

私の娘への溺愛ぶりは止まらず、その為に生活は

困窮していきました。

 

そして、3つの施設を掛け持ちして、休みなく働くことに

なったのでした。

 

離婚後2年したある日、私は、鬱病になり入院しました。

 

過酷な介護のとんでもないシフトと、3つの施設の掛け持ちで

休みなく働いたのが原因だったのです。

 

それをきっかけに、私は、一つの職場に長いこと勤められなくなりました。

 

家賃は滞納、光熱費も払えず、その日の食べるものにも

事欠く様になり、その度に休みなく掛け持ち労働をしては、

また、入退院の繰り返しでした。

 

そんな生活の中、娘は相変わらず登校拒否で、

おまけにリストカットまで初めて、

毎日、仕事から帰宅すると血まみれになって風呂場で

座っている娘を見て、私はどうすることもできなく、

ただ、娘を抱きしめていました。

 

何度となく私は、娘とマンションのベランダから一緒に

飛び降りようかと思ったものです。

 

それは、治ることのできない鬱病が悪さをしていたからでした。

 

娘との別離

 

それから、薬で鬱病を抑えながらも、何とか働き喰いつないでいました。

娘も登校拒否を続けてから1年半が過ぎ、高校受験がやって来ます。

 

カウンセリングの先生が良かったのか、

娘にも少し心境の変化が見られ、高校を受験したいと言い出しました。

 

でも、近くの高校は嫌だから、と私は寮のある高校を探しました。

 

私立では結構あるのですが、公立となると中々無くて、

私は、全国の教育委員会に聞き回り北海道と島根に

受け入れてくれる高校を見つけました。

 

北海道は遠すぎるので、島根へ見学へ行き、

何とかそこの高校を受験すると娘も承諾してくれました。

 

何と、登校拒否で、偏差値も無い娘でも、合格できたのです。

 

でも、全く貯金も余裕も無い私は、元旦那に頼み込み、

入学に必要な費用を出して貰いました。

 

と言いますのも、離婚後元旦那とは交流があり、やはり、

娘のことが気になっていたみたいで、快く援助してくれたのです。

 

入学式の日、私は、涙で娘を見ることが出来ませんでした。

 

やっと、学校へ行ってくれる、それだけで、私は、

胸がいっぱいになりました。

 

しかし、寮費と1ヶ月のお小遣いは普通の高校へ行くよりも多額で

また、生活は困窮します。

 

私は、薬を飲みながら、3つの施設を掛け持ちし、

休みも無しに馬車馬のように働きました。

 

それからというもの、私一人なので経済的には貯金は

出来ないけど、生活は安定しました。

 

そして、娘も落ち着いて学生生活を送っていてくれて

いるものと思っていたのです。

 

しかし、・・・・。

 

娘が高1の夏休み、帰ってきていた時、

私とのちょっとした口論が、娘の暴走に繋がり、

蹴られ、そしてバトミントンの柄が折れるほど殴られました。

 

私は、ふと、この子に殺される・・・と思い、取るものも取り敢えず、

暴れ狂っている娘を掻い潜り、家を出たのです。

 

その時、初めて娘の本音が聞けました。

 

私を殴りながら、娘が、「何で、あんたなんかのところへ

生まれてきたのか!!あんたなんか、親でも何でも無い!!」と

叫んでいたのです。

 

逃げる様に家を出た私は、その夜はホテルに泊まりました。

汚い、田舎のビジネスホテルで、私は考えたのです。

 

娘は、落ち着いてなんかいなかったし、

隠すようにしていた、手首のリストバンドを見て、

まだ、リストカットは続いていたんだと思いました。

 

そして、娘のあの言葉を聞いて、

”あの娘は、私と一緒にいたらもっとダメになる。”と

また、プツン!!と音がする様に何かが切れたのです。

 

私は、次の日休みだったので、カウンセリングも兼ねて、

精神科の病院へ行きました。

 

そこで、先生に言われたのです。

「私の愛情のかけ方が間違って居た」と。

そして、また、入院でした。

 

それまで、何度か娘が帰って来るたび、それに似たことはありました。

 

しかし、殺されると思ったことは初めてでホテルでプツン!!と

何かが切れて、今までの娘を溺愛していた私は、もう、

そこにはいませんでした。

 

”もう、いい。もう、私ではダメだ”という思いが強く、

病室のベッドの上から、元旦那へ電話をして居ました。

 

私は、「娘をお願いします」と元旦那に何の違和感もなく

頼んで居たのです。

 

それからというもの、元旦那に全て、任せました。

 

退院した時は、娘も娘の私物も家から消えて居ました。

それ以降、娘とは音信不通です。

 

私は、娘と離別しました。

 

今の私

 

娘と別れて、早、3年になります。

 

真面目に書いて、少し疲れました(笑)

 

全て真実ですが、もっと凄まじい生活でした。

 

多分、1冊の小説になるぐらい・・・。

 

でも、今はそんな生活から、脱してこのブログ書いてます。

 

もちろん、うつ病も治りました。

 

そのことも、ブログに書いて行きたいです。

 

この雑記ブログを始めたのは、アフィリエイトがきっかけです。

 

介護職に限界を感じ始め、何か他にできる事はないかと探していたら、

 

アフィリエイトを見つけ、それに取り組もうかと思いました。

 

そのために、2人のコンサルに着きましたが、そのコンサルの方と合わずに

コンサル生をやめました。

 

そして、考え直しました。

 

一体、私は何がやりたいのか?

 

それで、このブログにたどり着いたのです。

 

今までの私の凄まじい人生の経験と知識が、情報となって、発信できるように。

 

まず、書きたいから、書く!!を大切にして行きたいと思いました。

 

だから、良い物も良い!!と正直に書きます。

 

ダメなものもダメ??と書けるときは書くかな???ブログが凍結されない程度に??

 

アフィリエイトしようと思って気づいたのだけれど、

 

嘘の情報も多いという事!!

 

金儲けしようと思ったら、何だってしますからね。

 

それに気づいたから、私はこのブログを書こうと思いました。

 

アフィリエイトだけのブログは嫌!!だと思ったのです。

 

そりゃ、お金は欲しいですよ。

 

でも、私は今働く場所もあるし、居心地もそこそこいいです。

 

確かに、介護職の仕事には限界を感じてはきていますが、

 

嘘をついてまで、お金儲けはしたくない!!という事です。

 

アフィリエイトがみんなそうだとは言いませんが、嘘が多いという事です。

 

また、そう言ったことの記事もどんどん書いていきますから、参考にしてください。

 

そして、私の記事を読んでくださった貴方!!

 

私の記事に対してのご意見ご感想、また、違うよ!!というコメントもいただけたら励みになります。

 

あくまで、主観的な部分もありますので、貴方の知識や情報も知りたいです。

 

そして、悩みやご相談もしてください。

 

言葉では、言えないことが文章にすればまた、違った発見があるかもしれません。

 

極端ですが、「愛してる」と言葉で言われるのも嬉しいですが、

 

「愛してる」と文章で書かれたら言葉とは違う嬉しさがありますよね。

 

私は、娘が保育園の時に書いてくれた手紙を今も財布の中に忍ばせています。

 

ママへ

しんどくなったらお守りみてね。

いつもがんばってくれているママへ。おうえんしてるからね。

ありがとう。

(娘と私が手を繋いで立っている絵)

 

小さなメモに書いて娘がくれたものでしたが・・・。

 

SNSが発達した今、文字が乱雑に使われていますが、

本当は、違うのではないかと思っています。

 

その為にも、”書く”ということを大切にして、

文字に認めたいと思います。

 

まほろでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アフィリエイトは私に”まほろば(素晴らしい場所)”生活を

与えてくれました。